○○法ガールになりたい。

○○法ガールといえるほど法学をマスターしたいなと思い作成したブログ。司法試験受験生。最近勉強なんてやめて結婚に逃げたい。

百選起案 憲法(7版) 33~52

 

百選33 良心の自由と謝罪広告の強制

1 意見の要旨

 裁判所が、「1952年10月の衆議院議員総選挙の際にA党公認候補として徳島県から立候補し、選挙運動中に政見放送や新聞紙を通じて、候補者Xが副知事在職中に斡旋収賄を行った旨を公表した」行為につき名誉棄損が成立するとして、Yに対して、名誉回復のための措置として謝罪広告の掲載等を請求し、民法723条に基づき、「右放送及び記事は真実に相違して居り、貴下の名誉を傷けご迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」との文面の謝罪広告をY名義で新聞紙上に掲載することを命じたことは、憲法19条に反するものではないが、憲法21条1項に反するものである。

2 憲法19条違反の検討

(1) 憲法19条は、思想・良心の自由を保障している。これは内心にとどまる限り絶対的に保障されるべきものであるから、公権力が特定の思想を持つよう強制することは許されない。そして、同条の下、その者の有するものとは異なる「思想」・「良心」と密接に関連する外部的行為を強制する行為は、思想・良心の自由に対する制約と評価すべきである。 ※ 告白の強制が問題となった事案とされているが違うのではないかと思う。 ※ 「かかる内心に反する外部的行為を強制するにすぎない場合であっても、①特定の歴史観・世界観を否定することと不可分に結びつき、それ自体を否定するものである場合は、そのような行為の強制は絶対に禁止とすべきであるし、②特定の思想の賛否の表明として外部から認識されるような行為を強制することは、特定の思想を持つことの強制、特定の思想を持つことの禁止、ないしは特定の思想の有無について告白を強制するものと同視できるから、絶対に許されないものと考えるべきである」とここでもいえる場合はあるか?

(2) そして、「思想」・「良心」とは、世界観・人生観などの個人の人格形成に関連のある内面的な精神作用であると限定的に解すべきであり、事物の是非、善悪の判断等は含まれないと解すべきであるところ、本件で裁判所がYに対してした謝罪広告内容は、「右放送及び記事は真実に相違して居り、貴下の名誉を傷けご迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」という、単に事実の真相を告白し、陳謝の意を表するに止まるものであるから、Yの有するのとは異なる思想・良心に基づく外部的行為の強制にはならない。

(3) よって、裁判所の本件命令は、憲法19条にも反さず合憲である。

3 憲法21条違反の検討

(1) 前提

 憲法21条1項は、「表現の自由」として、自らの意見を表明し、或いは事実を報道するといった積極的な表現の自由だけでなく、自らの有するものとは異なる意見を表明することを強制されないといった消極的な自由(以下、前者を単に「表現の自由」、後者を「消極的表現の自由」とする)をも保障している。

 そこで、以下、①YがXに関する事実を公表した行為に対して謝罪広告を強制したことがYの有する表現の自由を侵害しないか、②謝罪広告を強制したことそれ自体、Yの消極的表現の自由を侵害していないかについて検討する。

(2) ① 表現の自由

ア 「表現」は、自己の人格を形成・発展させ、民主政の過程に関与するという、自己実現・自己統治の価値を有するものであるところ、事実を公表する行為も、これらの価値を有しうるものであるから、同条項によって保障される(博多駅フィルム事件)。そして、このことは、たとえ公表された事実が真実に反するであっても、また、公表するものがそれにつき悪意であっても異なることはないというべきである。 ※ 令和元年司法試験参照

 よって、Yの、衆議院総選挙候補者Xに関する事実を公表した本件の行為は、同条項によって保障される。 

イ それにもかかわらず、Yのこの行為につき名誉棄損が成立するとしたうえで、その謝罪広告を強制することで、Yの表現の自由に対して制約を与えている。

 もっとも、制約の対象となった表現が、「他人の行為に関して無根の事実を公表し、その名誉を毀損する」ものであるのであれば、それは、「表現の自由の乱用」にあたる。このような場合には、「名誉を棄損」された者の名誉を回復するべく、「名誉を棄損」した者が、国家により名誉回復のために必要な行為を強制されること(「名誉を棄損」した者の表現の自由が制約されること)も、やむを得ないものというべきであるところ、Yの行為は、まさにこれに当たる。

ウ よって、このようなYの行為に対して、裁判所が謝罪広告を命じたとしても、それは、表現の自由を侵害するものとはいえない。

(2) ② 消極的表現の自由

ア 上記の通り、憲法21条1項は、消極的表現の自由をも保障している。

イ その制約の有無は、意に沿わない意見表明がその者自身の「表現」であると表現の受け手側に認識され得るものか否かで判断すべきである。この場合、19条にいう「思想・良心」とは異なり、「表現」は、本件のような、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度の物も含まれるものと解すべきである。表現の自由は、上記の通り、自己の人格を形成・発展させ、民主政の過程に関与するという、自己実現・自己統治の価値を有するものであるところ、この程度の意見表明であっても、ひいては、この価値を有しうるからである。

 そして、このような「表現」を、Y名義で新聞に掲載させることは、それを見る者に、記載された「表現」はYの「表現」であるのだと認識させることになる。

ウ よって、裁判所による本件の謝罪広告の強制は、Yの消極的表現の自由を侵害するものであり、違憲である。

4 結論

 よって、裁判所が本件のような謝罪広告を強制したことは、憲法19条に反するものではないが、憲法21条1項に反するものであるといえる。

 

百選34 内申書の記載内容と生徒の思想・良心の事由

1 意見の要旨

 YによるXに関する内申書の記載行為は、憲法19条に反しない。

2 権利保障

 憲法19条は、思想・良心の自由を保障している。

 そして、ここでいう思想・良心とは、世界観・人生観などの個人の人格形成に関連のある内面的な精神作用と限定的に解すべきである。

3 侵害の有無

 この自由は、内心にとどまる限り絶対的なものであるから、①公権力が特定の思想を個人に強制、禁止したり、②特定の思想を有することを理由にその者を不利益に取扱ったり、③その者の内心の思想の告白強制したり、三者にその者の思想を開示・公表した場合には、それは、直ちに違憲となる。

 他方、外部的行為を伴った場合は制約が許容されうるものである。具体的には、①’公権力が特定の思想と密接に関連する外部的行為を強制、禁止し、或いは、②’特定の思想と密接に関連する外部的行為をしたことを理由にその者を不利益に扱い、若しくは、③’そのことを開示・公表した場合等の、制約がありうる。

 本件においては、内申書に、Xがデモに参加したことや、学内で全共闘を名乗ったこと、機関紙「砦」を発行したことが記載されているところ、このような記載を内申書にしたとしても、①Xに特定の思想を有することを強制することにも、禁止することにもならない。また、本件では、②「Xの思想、信条自体を高等学校の入学選抜の資料に供し」、不利益に扱っ「たものとは到底解することができない」のであるし、③本件内申書の記載は「Xの思想、信条そのものを記載したものでないことは明らかであ」り、これを第三者に提出したとしてもXの思想を第三者に開示・公表することにはならない。よって、本件内申書の記載行為が、直ちに違憲であるということにはならない。

 また、「右の記載の意かかる外部的行為」はXの思想と密接に関連するものであるとはいえず、これ「によってはXの思想、信条を了知し」得ないものである以上、①’②’③’のような場合にも当たらない。

 それゆえ、本件の内申書の記載行為は、Xの思想・良心の自由を制約するものでもない。

4 結論

 よって、Yによる本件内申書の記載行為は、Xの思想・良心の自由を侵害するものではなく、合憲である。

  • もっとも、Xの外部的行為は思想と密接に関連するものであり、Xの思想を推知しうるものと考えるのが素直である。そのため、結論をガラッと変えてもいいのではないか。

 

百選35 使用者による労働者の政党所属調査と思想の自由

1 意見の要旨

 Y1が、Y2をして、Xに対して共産党員かどうかの申告を求め、そうでない旨の回答を得るやその旨を記載した書面を提出するよう執拗に要求した行為は、直接、憲法19条に反するということはない。また、不法行為に該当するということもできない。

2 憲法19条と不法行為の諸規定との関係

 憲法19条の規定は、「国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。」しかし、「私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるとき」には、「私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、」その「適切な調整を図る」べきである。具体的には、私人による思想・良心の自由侵害があった場合には、それは、不法行為上違法を帯び、不方向責任の追及が可能となるものと解すべきである。

3 具体的検討

 憲法19条は、思想良心の自由を保障している。そして、ここでいう思想・良心とは、世界観・人生観などの個人の人格形成に関連のある内面的な精神作用と限定的に解すべきである。

 YがXに対し尋ねたのは、共産党員であるか否かであるのであるところ、政党所属はその者の主義主張、信条等を推知しうるものであるから、このような事項を質問することは、それ自体、Xの思想・良心に迫りうるものであるといえ、Xの思想・良心の自由に対する制約があるといえる。

 もっとも、「本件話合いは企業秘密の漏えいという企業秩序違反行為の調査をするために行われたことが明らかであるから、Y2が本件話合いを持つに至ったことの必要性、合理性は、これを肯認することができる。」また、「Y2は、本件話合いの比較的冒頭の段階で、Xに対し本件質問をしたのであるが、右調査目的との関連性を明らかにしないで、Xに対して共産党員であるか否かを尋ねたことは、調査の方法として、その相当性に欠ける面があるものの、前記赤旗の記事の取材源ではないかと疑われていたXに対し、共産党との係わりの有無を尋ねることには、その必要性、合理性を肯認することができないわけではなく、また、本件質問の態様は、返答を強要するものではなかったというのであるから、本件質問は、社会的に許容し得る限界を超えてXの精神的自由を侵害した違法行為であるとはいえない。」「さらに、…企業内においても労働者の思想、信条等の精神的自由は十分尊重されるべきであることにかんがみると、Y2が、本件書面交付の要求と右調査目的との関連性を明らかにしないで、右要求を繰り返したことは、このような調査に当たる者として慎重な配慮を欠いたものというべきであり、調査方法として不相当な面があるといわざるを得ない」が、「本件書面交付の要求は、Xが共産党員ではない旨の返答をしたことから、Yがその旨を書面にするように説得するに至ったものであり、右要求は強要にわたるものではなく、また、本件話合いの中で、Y2が、Xに対し、Xが本件書面交付の要求を拒否することによって不利益な取扱いを受ける虞のあることを示唆したり、右要求に応じることによって有利な取扱いを受け得る旨の発言をした事実はなく、さらに、Xは右要求を拒否した、というのであって」、Yがした「本件書面交付の要求は、…Xの精神的自由を侵害した違法行為であるということはできない。」

5 結論

 よって、Yによる上記行為は、憲法19条に反するということはない。また、不法行為に該当するということもできない。

 

百選36 南九州税理士会政治献金事件

1 意見の要旨

 本件の、Yによる政治献金は、Yの「目的の範囲」外の行為であるから、これを徴収する旨決定した決議は無効であり、よって、これを納付しなかったことを以てされた、YのXに対する役員選挙における選挙権及び被選挙権の停止した措置も無効である。

2 法人の人権享有主体性及び税理士会による政治献金の自由について

 法人は社会に不可欠な構成要素として自然人とともに社会的実在として扱われるものであるから、法人にも権利の性質上可能な限りの人権の享有主体性が認められるものと解すべきである。

 そして、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であることに鑑みれば、政党への政治献金により、政党の健全な発展に協力することは、法人についても社会的実体として当然に期待される行為であるといえるため、憲法21条1項によって政治的表現行為の一環として保障されるべき政治献金の自由は、権利の性質上、法人にも認められるものであるといえる。

3 政治献金税理士会の「目的の範囲」の行為といえるかについて

 もっとも、税理士会は公的な性質を有する法人であり、強制加入団体であるため構成員には実質的に脱退の自由が認められていない。また、会の性質上、様々な思想・信条を有する者が存在することが当然予定されている。以上のことなどからすると、税理士会は会社とは法的性質を異にし、保障される憲法上の権利についても会社と同一に論じることはできず、特に会員の思想・信条との関係での考慮が不可欠となる。

 そして、いかなる政党や政策を支持するかは、あくまで各個人が自主的に決定すべき事柄であるので、これに会員の協力を強制することは許されないというべきである。

 そうすると、税理士会が、政治献金をするか否かを多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできないというべきであり、政治献金行為は行政書士会の「目的の範囲」として法の予定していないところである。

4 結論

 よって、特別会費の徴収の決定は無効であり、Xは特別会費の納入義務を負っていなかったというのであるから、納入義務を負っていたことを前提とする、役員選挙の選挙権及び被選挙権の停止措置は無効である。

 

百選37 「君が代」起立・清祥の職務命令と思想・良心の自由

1 意見の要旨

 Y公立高校が、校長をしてXになした、卒業式において国歌斉唱の際に起立して斉唱するようを命ずる職務命令は、憲法19条に反するものではない。

2 19条の趣旨

 憲法19条は、思想・良心の自由を保障している。そうであれば、かかる内心に反する外部的行為を強制するにすぎない場合であっても、①特定の歴史観・世界観を否定することと不可分に結びつき、それ自体を否定するものである場合は、そのような行為の強制は絶対に禁止とすべきであるし、②特定の思想の賛否の表明として外部から認識されるような行為を強制することは、特定の思想を持つことの強制、特定の思想を持つことの禁止、ないしは特定の思想の有無について告白を強制するものと同視できるから、絶対に許されないものと考えるべきである。

 他方、そうでない場合は、その行為は直ちに憲法19条に反するものではないというべきであるが、ただ、その行為を強制することが、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなる場合には、その者の思想及び良心の自由が間接的に制約されているということになる。

3 具体的検討

(1)  そもそも、思想・良心とは、世界観・人生観などの、個人の人格形成に関連のある、「信条」ともいえるものと限定的に解すべきであるところ、「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わるXの歴史観ないし世界観自体は、思想良心の自由として憲法19条の保障の下にあると解すべきである。

(2) もっとも、本件職務命令当時、公立高等学校における卒業式等の式典において、国旗の「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって、学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌育唱の際の起立育唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである(性質)。そうすると、上記の起立斉唱行為は、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、Xに対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。

 また、上記の起立育唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である(周囲の認識)。そうすると、殊に、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には(周囲の認識+α)、本件職務命舎は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものとも、特定の思想の有無について告白することを強要するものともいうことはできない。

 そうすると、本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに侵害するものと認めることはできない。

(2) 他方、起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的にみても、国旗及び国に対する敬意の表明の要素を含む行為である。そうすると、自らの歴史観ないし世界視との関係で否定的な評価の対像となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。

 では、これは正当化されるか。個人の歴史視ないし世界観には多種多様なものがありうるのであり、それが内心にとどまらず、それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ、当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ、その制限が必要かつ合理的なものである場合には、その制眼を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして、職務命令においてある行為を求められることが、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり、その限りにおいて、当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも、職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され、また、上記の制限を介して生ずる制約の態様等も、職務命合の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって、このような間接的な制約が許容されるか否かは、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較最して、当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。

 これを本件についてみると、本件職務命合に係る超立斉唱行為は、上記のとおり、Xの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから、そのような敬意の表明にはし難いと考えるXにとって、その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為となるものである。この点に照らすと、本件職務命令は、一般的、客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり、それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で、その限りでXの「思想及び良心の自由」についての間接的な制約となる面があるものということができる。

 他方、学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒等への配値を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても、学校教育法は、高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ、高等学校学習指導要領も、学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり、また、国旗及び国歌に関する法律は、従来の慣習を法文化して、国旗は日章旗(「日の丸」)とし、国家は「君が代」とする旨を定めている。そして、住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(15条2項)に鑑み、公立高等学校の教論であるXは、法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあるところ、地方公務員法に基づき、高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した通速を踏まえて、その勤務する当該学校の校長から学校行事である卒業式に関して本件職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと、本件職務命令は、公立高等学校の教論であるXに対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって、高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い、かつ、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるから、本件職務命令についでは、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められる。

4 結論

 以上より、本件職務命令は、Xの「思想及び良心の自由」を侵害するものではなく、不起立行為が職務命令違反等にあたることを理由に非常勤の嘱託員等の採用選考においてXを不合格としたことも「違法」ではない。

 

A7 ビラ張と表現の自由

1 意見の要旨

 「みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札を……した者」を刑事罰の対象とする軽犯罪法1条22号前段は、憲法21条1項に反するものではない。

2 権利保障

 憲法21条1項は、表現の自由を保障している。そして、自らの意見を記したビラを貼ることや、集会の宣伝のためにビラを貼る行為は、表現活動として、同条項によって保障されるものと解すべきである。

3 制約

 同条号は、「国民の表現の自由の正当な行使であ…る本件のごときビラはり行為」を「一律に禁止」するものであり、憲法21条1項によって保障されるべき自由を制約していることは明らかである。

4 正当化

 このような、表現の自由を制約する立法については、正当な目的のもと、必要かつ合理的なものでなければならない。

 「軽犯罪法1条33号前段は、主として他人の家屋その他の工作物に関する財産権、管理権を保護するために、みだりにこれらの物にはり札をする行為を規制の対象としているものと解すべきところ、たとい思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは、もとより許されないところであるといわなければならない。」

 以上より、この程度の規制は、「公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であつて、右法条を憲法21条1項に違反するものということはでき」ない。

5 結論

 よって、軽犯罪法1条33号前段は、憲法21条1項に反しない。

 

A8 公安条例と集団示威運動

(後程)

 

百選38 信教の自由と加持祈祷治療

1 意見の要旨

 Xが加持祈祷中にAを死なせてしまった行為につき、傷害致死罪の罪を成立させ、処罰することは、憲法20条1項に反さない。

2 権利保障・制約

 憲法20条1項は、信教の自由を保障しており、当然、信教に基づき宗教的行為をすることも保障しているものと考えられる。Xによる加持祈祷は、まさに宗教に基づく宗教的行為であるといえるため、同条項によって保障される。

 それにもかかわらず、本件においては、Yが、同条項によって保障される加持祈祷という行為の結果、Aを死なせてしまったことを以て、Yを起訴・処罰しているところ、これは、Yの有する信教の自由に対する制約であるといえる。

3 正当化

 確かに、憲法20条1項が保障する「信教の自由が基本的人権の一として極めて重要なものであることはいうまでもない」が、「およそ基本的人権は、国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うべきことは憲法12条の定めるところであり、また同13条は、基本的人権は、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする旨を定めており、これら憲法の規定は、決して所論のような教訓的規定というべきものではなく、従って、信教の自由の保障も絶対無制限のものではない」。

 「これを本件についてみるに、…Xの本件行為は、被害者Aの精神異常平癒を祈願するため、線香護摩による加持祈藤の行としてなされたものであるが、Xの右加持祈藤行為の動機、手段、方法およびそれによって右Aの生命を奪うに至った暴行の程度等は、医療上一般に承認された精神異常者に対する治療行為とは到底認め得ないというのである。しからば、Xの本件行為は、…一種の宗教行為としてなされたものであったとしても、それが」前記の通り「他人の生命、身体等に危害を及ぼす違法な有形力の行使に当るものであり、これにより被害者を死に致したものである以上、Xの右行為が著しく反社会的なものであることは否定し得ないところであって、憲法20条1項の信教の自由の保障の限界を逸脱したものというほかはな」い。

4 結論

 よって、これを刑法205条に該当するものとして処罰したことは、憲法20条1項に反するものではない。

 

百選39 オウム真理教解散命令事件

1 意見の要旨

 宗教法人の解散命令について定めた宗教法人法の規定(法81条)及び本件解散命令は、憲法21条1項に反するものではない。

2 権利保障

 憲法20条1項は、信教の自由について保障しているところ、当然、宗教的行為をすることも保障しているものと解される。そして、この保障は、当然宗教法人Xの信者らにも及ぶ。

3 制約

 解散命令によっては、宗教法人の財産的基盤が失われ、よって、宗教法人に所属している信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることは否定できない。それゆえ、宗教法人法の解散命令について定めた規定は、その信者の宗教的行為の自由を間接的に制約するものであるといえる。

 また、本件解散命令によっても、同様、Xの信者らには、このような間接的な制約が及ぶものである。

3 正当化

 もっとも、内心における信仰の自由の保障は絶対的であるが、信仰が、内心の領域にとどまらず、宗教的行為という外部的行為の領域に及ぶときは、その行為が「公共の福祉」により、制約を受けることは、憲法の容認するところである(12条、13条)。ただ、その制約は、信教の自由の重要性に鑑み、最小限のものでなければならない。

 具体的には、①当該制約を課すことによって達成しようとする目的の必要性・合理性と、宗教上の行為に生ずる支障の程度との比較較量し、②より制限的でない他の選び得る手段の有無、③手続の適正の確保等を慎重に吟味しなければならない。

4 具体的検討

(1) まず、宗教法人の解散命令の制度は、専ら世俗的目的によるものであって、一般に、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではないものであるから、その制度の目的は、必要・合理的であるといえる。

 また、本件解散命令の目的についても同様である。

(2) 他方、解散命令は、本件のような、大量殺人を目的として毒ガスであるサリンを生成するという(法令に違反する)、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる宗教団体の目的を著しく逸脱する行為を行ったXのような法人に対してなされることが想定されている。また、その場合、解散命令によって宗教団体やその信者らが行う宗教上の行為への支障は、間接的で事実上のものにとどまり、その信者らの精神的・宗教的側面に及ぼす影響を考慮しても、必要でやむを得ない法的規制であるといえる。

 また、本件解散命令自体についても、同様のことがいえる。

(3) しかも、解散命令は、裁判所の司法審査によって発せられるものであるから、その手続の適正も担保されている。実際、本件においても、この手続が履践されている。

5 結論

 以上に鑑みれば、宗教法人法の解散命令について定めた規定及び本件解散命令は、憲法20条1項に反するものとは言えないというべきである。

 

百選40 牧会活動事件

1 意見の要旨

 牧師であるXが、罪を犯した少年らを、自首させるまでの間教会にかくまったことは、正当業務行為にあたり、犯人隠匿罪には該当しない。

2 権利

 憲法20条1項は、信教の自由を保障している。

 そして、一般にキリスト教における牧師の職は、ある宗教団体(教会等)からの委任に基き、日常反覆かつ継続的に、福音を述べ伝えること即ち伝道をなし、聖餐の儀式をとり行なうこと即ち礼拝を行ない、又、個人の人格に関する活動所謂「魂への配慮」等をとおして社会に奉仕すること即ち牧会を行ない、その他教会の諸雑務を預かり行なうことにある。そのうち牧会とは、牧師が自己に託された羊の群(キリスト教では個々の人間を羊に喩える)を養い育てるとの意味である。そこで、牧師は、中に迷える羊が出れば何を措いても彼に対する魂への配慮をなさねばならぬ。即ちその人が人間として成長して行くようにその人を具体的に配慮せねばならない。それは牧師の神に対する義務即ち宗教上の職責である。従って、牧会活動は、形式的には宗教の職にある牧師の職の内容をなすものであるところ、実質的には日本国憲法20条1項の「信教の自由」のうち、礼拝の自由にいう、礼拝の一内容をなすものであるから、宗教行為として、保障されるものでる。

 Xが罪を犯した少年らをかくまった行為は、牧師の業務の一環である牧会活動に該当するものであったことは明らかであるから、これは、同条項によって保障される。

3 制約

 それにもかかわらず、そのようなXの牧会活動のゆえんをもって、Xは犯人隠匿罪の罪で起訴されている。

4 正当化

 確かに、内面的な信仰と異なり、外面的行為である牧会活動が、その違いの故に公共の福祉による制約を受ける場合のあることはいうまでもない。もっとも、その制約が、結果的に行為の実体である内面的信仰の自由を事実上侵すおそれが多分にあるので、その制約をする場合は最大限に慎重な配慮を必要とする。

 そこで、Xの行為が犯人隠匿罪の構成要件に該当するとしても、業務そのものが正当であり、かつ、行為そのものが正当な範囲に属する相当なものであった場合には、違法性が阻却され、Xの行為は正当化されるものと解さなければならない。

 そして、牧会活動は、もともとあまねくキリスト教教師(牧師)の職として公認されているところであり、かつその目的は個人の魂への配慮を通じて社会へ奉仕することにあるのであるから、それ自体は公共の福祉に沿うもので、業務そのものの正当性に疑を差しはさむ余地はない。

 また、・・・(総合考慮の結果)・・・Xの本件牧会活動は手段方法においても相当であったのであり、むしろ両少年に対する宗教家としての献身は称賛されるべきものであった。

 以上を綜合して、Xの本件所為を判断するとき、それは全体として法秩序の理念に反するところがなく、正当な業務行為として認められなければならない。

5 結論

 よって、Xには、犯人隠匿罪には該当しない。

 

百選41 宗教上の理由に基づく「剣道」の不受講

1 意見の要旨

 神戸高専が、宗教上の理由から剣道を拒否していたXを、退学処分としたことは、裁量を逸脱・濫用(行訴法30条)したものとして違法である。

2 権利保障

 憲法20条1項は、信教の自由を保障している。

3 制約 ※ 世俗的(非宗教的)な規制が、宗教・非宗教を問わず一律に及び、その結果ある宗教の信者に対しとりわけ重い負担を課す場合には、信教の自由に対する間接的・付随的制約となる。

 神戸高専では、道実技への参加を拒否し続ければ原級留置処分及び退学処分という重い負担が課されるという運用がなされているところ、これは宗教・非宗教を問わず、一律に及ぶものである。しかし、剣道実技への参加は、上記重い負担を避けるために、事実上、自己の信仰上の数義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものだったのであるから、信仰の自由に対する間接的・付随的制約となるとみることができる。

4 正当化

(1) 上記のとおり、Xの「信教の自由」に対する制約は間接的・付随的な制約にとどまるものであるし、高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものである。そこで、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである。

 しかし、他方で、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校牧育法施行規則13条3項も4個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである。

  • また、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定にあたっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。

(2) 高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、休育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能である。

 他方、Xが剣道実技への参加を拒否する理由は、Xの信仰の核心部分と密援に関連する真撃なものであったのであった。しかも、本件各処分は、Xの信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、これが退学処分等を予定しているというのであれば、Xはそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられる。このようは重大な不利益は、Xが自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、当然に許容されることになるものでもない。

 以上に鑑みると、Yの採った措置が、信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、数育内容の設定及びその履修に関する評価方法についでの一般的な定めに従ったものであるとしても、高専は、上記裁最権の行使にあたり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があった。具体的には、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができる。そして、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を探ることは可能であると考えられるうえ、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難い以上、代替措置を探ることによって、政教分離原則に反することになるとか、神戸高専における教育秩序を維持することができなくなるとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないにもかかわらず、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない。

  なお、念のため、代替措置をとることが政教分離原則に反することにならないかについて検討するに、「宗教的活動」とは、①当該行為の目的が宗教的意義をもち、②その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫干渉第になるような行為をいうところ、代替措置を採ることは、そもそも、その目的において宗教的意義を有するものとは言えないのであるし、また、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、その方法、態様のいかんを問わず、20条3項に違反するとはいえないというべきである。

 また、そもそも、公立学校において、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすること自体も、「宗教的活動」には当たらないものと解すべきであるのは明らかであり、また、そのような調査がXの信教の自由に反するものとも言えない。

(3) よって、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、2年続けて原級留置となったため退学処分をしたというYの措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはない。

5 結論

 よって、高専による本件処分は、裁量権の範囲を超える違法なものである。

 

百選42 津地鎮祭事件

1 意見の要旨

 津市が地鎮祭を行い、7663円支出した行為は、憲法20条3項により禁止される「宗教的活動」には当たらない。また、20条1項にいう「特権」の付与にも当たらないし、89条が禁止する公金の支出にも当たらない。 地鎮祭を行ったこと=「宗教的活動」、「宗教団体」に公金を支出したこと=「特権」付与、公金支(89条)出に該当する疑い。以下、検討、という流れ。

2 憲法20条1項、3項及び89条の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、同条3項は、国家の側による「宗教的活動」を禁止している。また、1項は、「宗教団体」への「特権」の付与を禁止し、併せて、憲法89条は政教分離原則を財政的側面から確保するために、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金の支出を禁止することとしている。

そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる「宗教的活動」、「特権」の付与・公金の支出を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、20条3項にいう「宗教的活動」、1項にいう「特権」の付与、89条が禁止する公金支出とは、それぞれ、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。具体的には、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいい、その判断は、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断するべきである。

3 具体的検討

 「憲法20条1項後段にいう『宗教団体』、憲法89条にいう『宗教上の組織若しくは団体』とは、…特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指す」ところ、地鎮祭を行った神社は、これに該当する。

 そして、確かに「本件起工式は、…建物の建築の着工にあたり、土地の平安堅固、工事の無事安全を祈願する儀式として行われたことが明らかであるが、その儀式の方式は、…専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神道固有の祭式に則り、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行つたというのであり、また、これを主宰した神職自身も宗教的信仰心に基づいてこれを執行したものと考えられるから、それが宗教とかかわり合いをもつものであることは、否定することができない。」「しかしながら、古来建物等の建築の着工にあたり地鎮祭等の名のもとに行われてきた土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願する儀式、すなわち起工式は、土地の神を鎮め祭るという宗教的な起源をもつ儀式であつたが、時代の推移とともに、その宗教的な意義が次第に稀薄化してきていることは、疑いのないところである。一般に、建物等の建築の着工にあたり、工事の無事安全等を祈願する儀式を行うこと自体は、「祈る」という行為を含むものであるとしても、今日においては、もはや宗教的意義がほとんど認められなくなつた建築上の儀礼と化し、その儀式が、たとえ既存の宗教において定められた方式をかりて行われる場合でも、それが長年月にわたつて広く行われてきた方式の範囲を出ないものである限り、一般人の意識においては、起工式にさしたる宗教的意義を認めず、建築着工に際しての慣習化した社会的儀礼として、世俗的な行事と評価しているものと考えられる。」また、「本件起工式は、神社神道固有の祭祀儀礼に則つて行われたものであるが、かかる儀式は、国民一般の間にすでに長年月にわたり広く行われてきた方式の範囲を出ないものであるから、一般人及びこれを主催した津市の市長以下の関係者の意識においては、これを世俗的行事と評価し、これにさしたる宗教的意義を認めなかつたものと考えられる。」「また、現実の一般的な慣行としては、建築着工にあたり建築主の主催又は臨席のもとに本件のような儀式をとり入れた起工式を行うことは、特に工事の無事安全等を願う工事関係者にとつては、欠くことのできない行事とされているのであり、このことと前記のような一般人の意識に徴すれば、建築主が一般の慣習に従い起工式を行うのは、工事の円滑な進行をはかるため工事関係者の要請に応じ建築着工に際しての慣習化した社会的儀礼を行うという極めて世俗的な目的によるものであると考えられるのであつて、特段の事情のない本件起工式についても、主催者の津市の市長以下の関係者が右のような一般の建築主の目的と異なるものをもつていたとは認められない。」「元来、わが国においては、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使いわけてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心度は必ずしも高いものとはいいがたい。他方、神社神道自体については、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道のような対外活動がほとんど行われることがないという特色がみられる。このような事情と前記のような起工式に対する一般人の意識に徴すれば、建築工事現場において、たとえ専門の宗教家である神職により神社神道固有の祭祀儀礼に則つて、起工式が行われたとしても、それが参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めることとなるものとは考えられず、これにより神道を援助、助長、促進するような効果をもたらすことになるものとも認められない。そして、このことは、国家が主催して、私人と同様の立場で、本件のような儀式による起工式を行つた場合においても、異なるものではなく、そのために、国家と神社神道との間に特別に密接な関係が生じ、ひいては、神道が再び国教的な地位をえたり、あるいは信教の自由がおびやかされたりするような結果を招くものとは、とうてい考えられないのである。」

 以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない。

4 結論

 よって、津地鎮祭を行い、7663円を支出したことは、憲法20条3項により禁止される「宗教的活動」にはあたらないし、1項にいう「特権」の付与、89条が禁止する公金支出にも当たらないものと解するのが相当である。

 

百選43 信教の自由・政教分離の原則と自衛隊の合祀

1 意見の要旨

 自衛隊山口地方連絡部が、Xの夫につき合祀申請したことは、憲法20条3項により禁止される宗教的活動には当たらない。

 そして、本件合祀は県隊友会が自主的に行ったことであるから、これにより、Xの信教の自由若しくは静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益を侵害する結果、民法709条に基づく損害賠償請求が認められないかを検討すべきところ、本件合祀によってはXの上記自由ないし利益の侵害は認められないから、この請求は認められないというべきである。

2 20条3項違反の検討

(1) 20条3項の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、同条3項は、国家の側による「宗教的活動」を禁止している。そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる「宗教的活動」を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、20条3項にいう「宗教的活動」、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。具体的には、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいい、その判断は、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、その判断は諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断するべきである。

(2) 具体的検討

 「合祀は神社の自主的な判断に基づいて決められる事柄であ…つて、何人かが神社に対し合祀を求めることは、合祀のための必要な前提をなすものではなく、本件において県護国神社としては既に昭和四六年秋には殉職自衛隊員を合祀する方針を基本的に決定していた…。してみれば、本件合祀申請という行為は、殉職自衛隊員の氏名とその殉職の事実を県護国神社に対し明らかにし、合祀の希望を表明したものであつて、宗教とかかわり合いをもつ行為であるが、合祀の前提としての法的意味をもつものではない。そして、本件合祀申請に至る過程において県隊友会に協力してした地連職員の具体的行為は前記のとおりであるところ、その宗教とのかかわり合いは間接的であり、その意図、目的も、合祀実現により自衛隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図ることにあつたと推認されることは前記のとおりであるから、どちらかといえばその宗教的意識も希薄であつたといわなければならないのみならず、その行為の態様からして、国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こし、あるいはこれを援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるような効果をもつものと一般人から評価される行為とは認め難い。したがつて、地連職員の行為が宗教とかかわり合いをもつものであることは否定できないが、これをもつて宗教的活動とまではいうことはできないものといわなければならない。」

(3) よって、自衛隊山口地方連絡部による合祀申請は、憲法20条3項に反しない。

3 県隊友会への709条に基づく損害賠償請求の可否

(1)  私人間で信教の自由の侵害があった場合に損害賠償請求をすることができるかについて

 これについては、私人相互間において憲法20条1項前段及び同条2項によって保障される信教の自由の侵害があり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超えるときは、場合によっては、民法709条等の不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、法的保護が図られるべきである。具体的には、憲法上の権利ないし自由が侵害された場合には、民法709条にいう「侵害」の要件を満たす結果、不法行為に基づく損害賠償請求が可能になるのである。

(2) 権利保障

 憲法20条1項は、信教の自由について保障している。

 他方で、信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請している。したがって、宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができないというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。

 そこで、以下、Xの信教の自由が侵害されていたといえるかについて検討していく。

(3) 侵害

 本件「合祀は、まさしく信教の自由により保障されているところとして同神社が自由になし得るところであり、それ自体は何人の法的利益をも侵害するものではない。そして、」Xは、「県護国神社の宗教行事への参加を強制されたこと」はないというのである。

 「またその不参加により不利益を受けた事実、そのキリスト教信仰及びその信仰に基づき」Xが夫「を記念し追悼することに対し、禁止又は制限はもちろんのこと、圧迫又は干渉が加えられた事実」は存在していない。X「あてに発せられた永代命日祭斎行等に関する書面も」、X「の信仰に対し何ら干渉するものではない。してみれば、被上告人の法的利益は何ら侵害されていないというべきである。」

(4) 結論

 よって、Xの県隊友会に対する709条に基づく損害賠償請求も認められない。

  • 「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によつて害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえつて相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。

 

百選44 愛媛玉串料事件

1 意見の要旨

 愛媛県が、例大祭に際し玉串料として9回にわたり各5000円を、夏のみたま祭に際し献灯料として4回にわたり各1万円をそれぞれ県の公金から支出した行為は、憲法20条3項、20条1項、89条に照らし、許されない違法な財務会計上の行為に当たる(地方自治法242条の2第1項4号)。 ※ 百選には20条1項に触れている部分は引用されていないが、89条を論じる当然の前提として1項にも触れているのではないかと思われる。参列=「宗教的活動」、宗教団体への公金支出=「特権付与」及び89条禁止の支出に該当しないか、以下、検討。

2 憲法20条1項、3項及び89条の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、同条3項は、国家の側による「宗教的活動」を禁止している。

 また、1項は、国家の側が「宗教団体」へ「特権」を付与することを禁止し、併せて、憲法89条は国家の宗教的中立性の要請である政教分離原則を財政的側面から確保するために、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金の支出を禁止することとしている。

 そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる、「宗教的活動」、宗教団体への「特権」の付与、公金の支出を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、20条3項にいう「宗教的活動」や、20条1項にいう「特権」の付与、及び、89条が禁止する公金の支出とは、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。具体的には、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいい、その判断は、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、その判断は諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断するべきである。

3 具体的検討

 まず、「憲法20条1項後段にいう『宗教団体』、憲法89条にいう『宗教上の組織若しくは団体』とは、…特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指す」ところ、靖国神社は、神道を信仰し、活動する組織ないし団体であるから、「宗教団体」、「宗教上の組織若しくは団体」に該当する。

 そして、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式にのっとって行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置づけられていることは、公知の事実である。そして、玉串科は、例大祭又は慰霊大祭において右のような宗教上の儀式が執り行われるに際して神前に供えられるものであり、各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなものである。 +一般人の意識

 これらのことからすれば、特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀かかわり合いを持ったということが明らかであり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができない

 また、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、これらのことからすれば、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない

 以上の事実を総合的に考慮して判断すれば、県の行為は、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖国神社等のかかわり合い我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度超えるものである。

 よって、県による公金の支出は、憲法20条3項の禁止する「宗教的活動」に当たる。また、憲法20条1項の禁止する「特権」の付与に当たり、かつ、憲法89条の禁止する公金の支出に該当すると解するのが相当である。

4 結論

 よって、県による本件の公金の支出は、憲法20条3項に反するものであり、また、憲法20条1項、89条に照らし、許されない違法な財務会計上の行為に当たる(地方自治法242条の2第1項4号)。

 

百選45 即位の礼大嘗祭政教分離の原則

1 意見の要旨

 鹿児島県知事が、大嘗祭に参列したこと、そのための旅費を公金から支出したことは、憲法20条1項、3項に反しない。大嘗祭への参列=「宗教的活動」、「特権」の付与。裁判所は1項についても触れているので、参列それ自体を「特権」の付与にあたりうるととらえている可能性がある。旅費支出=89条違反の疑いがあると考えているかは不明

2 憲法20条1項、3項の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、1項は、国家の側が「宗教団体」へ「特権」を付与することを禁止し、また、同条3項は、国家の側による「宗教的活動」を禁止している。

 そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる、「宗教的活動」、宗教団体への「特権」の付与を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、20条3項にいう「宗教的活動」や、20条1項にいう「特権」の付与、及び、89条が禁止する公金の支出とは、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。具体的には、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいい、その判断は、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、その判断は諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断するべきである。

3 具体的検討

 「憲法20条1項後段にいう『宗教団体』…とは、…特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指す」ところ、大嘗祭を行った神社がこれに該当することに争いはない。

 「大嘗祭は、天皇が皇祖及び天神地祇に対して安寧と五穀豊穣等を感謝するとともに国家や国民のために安寧と五穀豊穣等を祈念する儀式であり、神道施設が設置された大嘗宮において、神道の儀式にのっとり行われたというのであるから、鹿児島県知事…がこれに参列し拝礼した行為は、宗教とかかわり合いを持つものである」ことは否定できない。

 「しかしながら、…(1)大嘗祭は、7世紀以降、一時中断された時期はあるものの、皇位継承の際に通常行われてきた皇室の重要な伝統儀式である」ところ、(2)鹿児島県知事「は、宮内庁から案内を受け、三権の長国務大臣、各地方公共団体の代表等と共に大嘗祭の一部を構成する悠紀殿供饌の儀に参列して拝礼したにとどまる、(3)大嘗祭への」鹿児島県知事「の参列は、地方公共団体の長という公職にある者の社会的儀礼として、天皇の即位に伴う皇室の伝統儀式に際し、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表する目的で行われたものであるというのである。これらの諸点にかんがみると、被上告人の大嘗祭への参列の目的は、天皇の即位に伴う皇室の伝統儀式に際し、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇に対する社会的儀礼を尽くすものであり、その効果も、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるようなものではないと認められる。」

 「したがって、」鹿児島県知事「の大嘗祭への参列は、宗教とのかかわり合いの程度が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。」

4 結論

 よって、県知事による大嘗祭への参列は、憲法20条1項、3項に反する行為である。

 

百選46 忠魂碑・慰霊祭と政教分離の原則

1 意見の要旨

 箕面市が、旧忠魂碑の敷地を隣接する小学校用地とするため、旧忠魂碑を管理している箕面市戦没者遺族会と移設について折衝し、その合意に基づき、本件敷地を箕面市土地開発公社から買い入れ、右土地上に本件忠魂碑を移設、再建し、以後、本件敷地を市遺族会に無償で貸与したことは、憲法20条1項、89条、20条3項に反しない。

  • 公金支出が国家の側による「宗教的活動」に当たるのではないかとされた例。
  • 様々な行為が伴うからではないかと思われる。
  • 或いは、遺族会が「宗教団体」「宗教上の組織ないし団体」に当たらないことが明らかであったためか。

2 憲法20条1項、3項及び89条の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、同条3項は、国家の側による「宗教的活動」を禁止している。また、1項は、「宗教団体」への「特権」の付与を禁止し、併せて、憲法89条は政教分離原則を財政的側面から確保するために、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金の支出を禁止することとしている。

 そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる「宗教的活動」、「特権」の付与及び公金の支出を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、20条3項にいう「宗教的活動」、1項にいう「特権」の付与、89条が禁止する公金支出とは、それぞれ、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。具体的には、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいい、その判断は、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断するべきである。

3 具体的検討

(1) 憲法20条1項・89条違反の検討

 「本件についてこれをみるのに、…財団法人日本遺族会及びその支部である市遺族会、地区遺族会は、いずれも、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体には該当しないものというべきであって、憲法20条1項後段にいう「宗教団体」、憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しないものと解するのが相当である。」

(2) 憲法20条3項違反の検討

 そこで、以下、20条3項違反の有無を検討する。

 「旧忠魂碑は、地元の人々が郷土出身の戦没者の慰霊、顕彰のために設けたもので、元来、戦没者記念碑的な性格のものであり、本件移設・再建後の本件忠魂碑も同様の性格を有するとみられるものであって、その碑前で、戦没者の慰霊、追悼のための慰霊祭が、毎年一回、市遺族会の下部組織である地区遺族会主催の下に神式、仏式隔年交替で行われているが、本件忠魂碑と神道等の特定の宗教とのかかわりは、少なくとも戦後においては希薄であり、本件忠魂碑を靖国神社又は護国神社の分身(いわゆる「村の靖国」)とみることはできない」。また、「本件忠魂碑を所有し、これを維持管理している市遺族会は、箕面市内に居住する戦没者遺族を会員とし、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的として設立され活動している団体であって、宗教的活動をすることを本来の目的とする団体ではないこと、…旧忠魂碑は、戦後の一時期、その碑石部分が地中に埋められたことがあったが、大正五年に分会が箕面村の承諾を得て公有地上に設置して以来、右公有地上に存続してきたものであって、箕面市がした本件移設・再建等の行為は、右公有地に隣接する箕面小学校における児童数の増加、校舎の老朽化等により校舎の建替え等を行うことが急務となり、そのために右公有地を学校敷地に編入する必要が生じ、旧忠魂碑を他の場所に移設せざるを得なくなったことから、市遺族会との交渉の結果に基づき、箕面市土地開発公社から本件土地を買い受け、従前と同様、本件敷地を代替地として市遺族会に対し無償貸与し、右敷地上に移設、再建したにすぎないものであることが明らかである」ことに鑑みると、「箕面市が旧忠魂碑ないし本件忠魂碑に関してした次の各行為、すなわち、旧忠魂碑を本件敷地上に移設、再建するため右公社から本件土地を代替地として買い受けた行為(本件売買)、旧忠魂碑を本件敷地上に移設、再建した行為(本件移設・再建)、市遺族会に対し、本件忠魂碑の敷地として本件敷地を無償貸与した行為(本件貸与)は、いずれも、その目的は、小学校の校舎の建替え等のため、公有地上に存する戦没者記念碑的な性格を有する施設を他の場所に移設し、その敷地を学校用地として利用することを主眼とするものであり、そのための方策として、右施設を維持管理する市遺族会に対し、右施設の移設場所として代替地を取得して、従来どおり、これを右施設の敷地等として無償で提供し、右施設の移設、再建を行ったものであって、専ら世俗的なものと認められ、その効果も、特定の宗教を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない。」

 「したがって、箕面市の右各行為は、宗教とのかかわり合いの程度が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法20条3項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。」

4 結論

 よって、箕面市が、本件敷地を箕面市土地開発公社から買い入れ、右土地上に本件忠魂碑を移設、再建し、以後、本件敷地を市遺族会に無償で貸与したことは、憲法20条1項、89条、20条3項に反しない。

 

百選47 空知太神社事件―敷地の長期の無償提供―

1 意見の要旨

 市が連合町内会に対し市有地を無償で神社施設の敷地としての利用に供している行為は、憲法20条1項後段、89条に違反する。

2 憲法20条1項、89条の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、1項は、「宗教団体」への「特権」の付与を禁止しており、併せて、憲法89条は、政教分離原則を財政的側面から確保するために、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金の支出を禁止することとしている。

 そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる「特権」の付与及び公金の支出を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、1項にいう「特権」の付与、89条が禁止する公金支出とは、それぞれ、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。

 そして、(本件のような、)国家の側が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は、一般的には、当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として、憲法20条1項・89条違反の疑いを生じさせるものであるといえる。もっとも、当該施設の性格や来歴、無償提供に至る経緯、利用の態様等には様々なものがあり得るところであり、上記のような行為が、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて憲法20条1項・89条に違反するか否かを判断するに当たっては、①当該宗教的施設の性格、②当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、③当該無償提供の態様、④これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解される。

3 具体的検討

 「本件神社物件を管理し、上記のような祭事を行っているのは、本件利用提供行為の直接の相手方である本件町内会ではなく、本件氏子集団である。本件氏子集団は、前記のとおり、町内会に包摂される団体ではあるものの、町内会とは別に社会的に実在しているものと認められる。そして、この氏子集団は、宗教的行事等を行うことを主たる目的としている」、宗教団体(憲法20条1項)「であって、寄附を集めて本件神社の祭事を行っており、憲法89条にいう『宗教上の組織若しくは団体』に当たるものと解される。」

 そして、「本件鳥居、地神宮、『神社』と表示された会館入口から祠に至る本件神社物件は、一体として神道の神社施設に当たるものと見るほかはない。また、本件神社において行われている諸行事は、地域の伝統的行事として親睦などの意義を有するとしても、神道の方式にのっとって行われているその態様にかんがみると、宗教的な意義の希薄な、単なる世俗的行事にすぎないということはできない。このように、本件神社物件は、神社神道のための施設であり、その行事も、このような施設の性格に沿って宗教的行事として行われているものということができる。」(①)

 また、「本件氏子集団は、祭事に伴う建物使用の対価を町内会に支払うほかは、本件神社物件の設置に通常必要とされる対価を何ら支払うことなく、その設置に伴う便益を享受している。すなわち、本件利用提供行為は、その直接の効果として、氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしているものということができる。」(③)

 「そうすると、本件利用提供行為は、市が、何らの対価を得ることなく本件各土地上に宗教的施設を設置させ、本件氏子集団においてこれを利用して宗教的活動を行うことを容易にさせているものといわざるを得ず、一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ないものである。」(④)

 以上に鑑みると、確かに、「本件利用提供行為は、もともとは小学校敷地の拡張に協力した用地提供者に報いるという世俗的、公共的な目的から始まったもので、本件神社を特別に保護、援助するという目的によるものではなかったことが認められるものの」(②) 、「社会通念に照らして総合的に判断すると、本件利用提供行為は、市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり、ひいては憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当すると解するのが相当である。」

4 結論

 市が連合町内会に対し市有地を無償で神社施設の敷地としての利用に供している行為は、憲法20条1項後段、89条に違反する。

 

百選47の2 ― 敷地の長期の無償提供後の譲渡 ―

1 意見の要旨

 砂川市が市有地を空知太神社の建物、鳥居及び地神宮の敷地として、長期の間、無償で使用させていた行為は、憲法20条1項後段、89条に違反する。

2 憲法20条1項、89条の趣旨

 憲法20条は、いわゆる政教分離の原則を採用しており、その観点から、1項は、「宗教団体」への「特権」の付与を禁止しており、併せて、憲法89条は、政教分離原則を財政的側面から確保するために、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金の支出を禁止することとしている。

 そして、かかる政教分離原則の趣旨は、「国家と信教との分離を制度として保障することにより」、国家の宗教的中立性を確保し、国家による宗教の弾圧等を防止することで、以て、「間接的に信教の自由の保障を確保」することにある。そうであれば、国家と宗教との関わり合いは完全に分離されることが望ましいため、国家の側によるあらゆる「特権」の付与及び公金の支出を禁止すべきとも思える。

 しかし、福祉国家社会において、それは事実上不可能であるばかりか、完全分離をつらぬけば、かえって宗教を阻害しかねない。そこで、1項にいう「特権」の付与、89条が禁止する公金支出とは、それぞれ、宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものに限られるものと解すべきである。

 そして、(本件のような、)国家の側が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は、一般的には、当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として、憲法20条1項・89条違反の疑いを生じさせるものであるといえる。もっとも、当該施設の性格や来歴、無償提供に至る経緯、利用の態様等には様々なものがあり得るところであり、上記のような行為が、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて憲法20条1項・89条に違反するか否かを判断するに当たっては、①当該宗教的施設の性格、②当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、③当該無償提供の態様、④これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解される。

3 具体的検討

 本件では、「氏子に相当する地域住民の集団が社会的に実在することは明らかであり、この集団は憲法89条の宗教上の組織ないし団体に当たるものと認められる。」

 また、「本件神社施設は、一体として明らかに神道の神社施設に当たるものであり、本件神社において行われている諸行事も、神道の方式にのっとって行われているその態様にかんがみ、宗教的行事と認めるほかないものである。」(①)

 「本件神社施設の所有者は定かではないものの、本件譲与前に市が本件各土地を無償で神社敷地としての利用に供していた行為は、その直接の効果として、上記地域住民の集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にするものであったというべきである。」(③)

 「したがって、本件各土地が市の所有に帰した経緯についてはやむを得ない面があるとはいえ、上記行為をそのまま継続することは、一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されるおそれがあったものということができる。」(④)

 もっとも、「本件譲与は、市が、監査委員の指摘を考慮し、上記のような憲法89条及び20条1項後段の趣旨に適合しないおそれのある状態を是正解消するために行ったものである。」 ※ 「確かに、本件譲与は、本件各土地の財産的価値にのみ着目すれば、本件町内会に一方的に利益を提供するという側面を有しており、ひいては、上記地域住民の集団に対しても神社敷地の無償使用の継続を可能にするという便益を及ぼすとの評価はあり得るところである。しかしながら、本件各土地は、昭和10年に教員住宅の敷地として寄附される前は、本件町内会の前身であるT各部落会が実質的に所有していたのであるから、同50年に教員住宅の敷地としての用途が廃止された以上、これを本件町内会に譲与することは、公用の廃止された普通財産を寄附者の包括承継人に譲与することを認める市の「財産の交換、譲与、無償貸付等に関する条例」(平成4年砂川市条例第20号)3条の趣旨にも適合するものである。」また、「仮に市が本件神社との関係を解消するために本件神社施設を撤去させることを図るとすれば、本件各土地の寄附後も上記地域住民の集団によって守り伝えられてきた宗教的活動を著しく困難なものにし、その信教の自由に重大な不利益を及ぼすことになる。」それゆえ、当時、本件各土地を「その社寺等に譲与することを」決定したのは、「政教分離原則を定める憲法の下で、社寺等の財産権及び信教の自由を尊重しつつ国と宗教との結び付きを是正解消するためには、上記のような財産につき譲与の措置を講ずることが最も適当と考えられた」ためであるということができ、「市と本件神社とのかかわり合いを是正解消する手段として相当性を欠くということ」はできない。(②)

 「以上のような事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すると、本件譲与は、市と本件神社ないし神道との間に、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるかかわり合いをもたらすものということはできず、憲法20条3項、89条に違反するものではないと解するのが相当である」

4 結論

 よって、砂川市が市有地を空知太神社の建物、鳥居及び地神宮の敷地として、長期の間、無償で使用させていた行為は、憲法20条1項後段、89条に違反する。

 

  • 両判決は、89条をメインとし、20条1項後段にも該当するとしている(20条3項は使っていない)。また、「目的及び効果にかんがみ」という部分が説示中に現われていない。これは①目的効果基準が機能せしめられてきたのは、問題となる行為等においていわば「宗教性」と「世俗性」とが同居しておりその優劣が微妙であるときに、そのどちらを重視するかの決定に際してであったこと(本件は一義的に宗教的な施設が問題となり、またそこで行われる行為も宗教活動であることが明らかである)②作為的行為ではなく極めて長期間にわたる不作為的側面も有する継続的行為であるという事案の特殊性が認められたことに由来するものであると考えられる

 

百選48 犯罪の煽動と表現の自由

(省略)

 

百選49 破壊活動防止法の扇動罪と表現の自由

1 意見の要旨

 破壊活動防止法39条及び40条の扇動罪の規定(現在の騒乱罪の規定)は、憲法21条に反しない。

2 権利保障

 憲法21条1項は、表現の自由について保障している。即ち、意見表明をすることやその他の表現活動は、同条項によって保障される行為であるといえる。

3 制約

 それにもかかわらず、扇動罪の規定は、表現行為であっても、それが、「政治目的をもって、各条所定の犯罪を実行させる目的を以て、文書若しくは図画又は言動により、人に対し、その犯罪行為を実行する決意を生ぜしめまたは既に生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与える行為」に当たる場合には、そのような行為を禁止することとしており、表現の自由を制約しているといえる。

4 正当化

 「しかしながら、表現活動といえども、絶対無制限に許容されるものではなく、公共の福祉に反し、表現の自由の限界を逸脱するときには、制限を受けるのはやむを得ないものである」。

 それゆえ、禁止される表現行為が、「公共の福祉に反し、表現の自由の保護を受けるに値しないもの」といえる場合には、「制限を受けるのはやむを得ないものというべきであ」るところ、扇動罪の適用範囲は、上記の通り、「公共の安全を脅かす騒擾罪等の重大犯罪をひき起こす可能性のある社会的に危険な行為」なのであって、これはまさに、公共の福祉に反し、「公共の福祉に反し、表現の自由の保護を受けるに値しないもの」ということができる。

5 結論

 よって、扇動罪の規定は憲法21条に反するものではない。

  • 適用に誤りはないかを見て適用違憲の検討をあえてしても良いのではないかと思われる。が、違憲と評価するのは難しいと思ったため省略。
  • 破壊活動防止法四〇条のせん動の概念は不明確であり、憲法三一条に違反する」かという論点もあったが、「破壊活動防止法四〇条のせん動の概念は、同法四条二項の定義規定により明らかであって、その犯罪構成要件が所論のようにあいまいであり、漠然としているものとはいい難い」として否定された。

 

百選50 「有害図書」指定と表現の自由

1 意見の要旨

 岐阜県青少年保護育成条例の、自動販売機で図書を販売することをも規制対象とし、「有害図書」の販売を禁止した規定(6条、6条の2、6条の6、9条、21条2号、5号等)は、憲法21条1項、31条に反しない。

 また、これらの規定に基づきYらを処罰したことも同様である。

2 青少年の「表現の自由

(1) 権利保障・制約

 21条1項は、表現の自由について保障している。そしてこの「表現」のためには情報収集が前提となるから知る自由についても同条項により保障されると解される。このことは、青少年であっても異なるものではない。

 それにもかかわらず、条例は、知事により個別的に(条例6条1項)、或いは包括的に(条例6条2項)指定された「有害図書」の青少年への販売・貸付を、自動販売機による販売を含め、業者に禁止し(6条の2第2項、6条の6第1項)、青少年の「有害図書」の閲覧手段を断つことで、青少年の上記自由を制約しているといえる。

(2) 正当化

 これらの規制は「有害図書」という内容に着目した内容規制である一方、閲覧の自由の保障は、知識や情報を自ら選別し、人格形成に資するものを取得していく能力が前提とされているところ、青少年は、一般的に精神的に未熟であり、選別能力が十分でなく、知識や情報の影響をうけることが大きいとみられるから、成人と同等の知る自由が保障されるとはいえない。そうであるとすれば、青少年の精神的未熟さに由来する害悪から保護すべく一定の制約が課されることもやむを得ないといえる。

 よって、「有害図書」の規制は、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性のある場合には、合憲と評価されるものと解すべきである。そして、ここでいう蓋然性については、「有害図書」が青少年に対して与える弊害について厳密な科学的証明がなされていることまでは要求されず、「有害図書」が、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性は認められるものと解される。性に関する歪んだ価値観が形成されてしまった場合には回復困難になるため、青少年の事前の保護は必要不可欠であるといえるからである。

 これを本件について見る。本条例の定めるような「有害図書」が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残酷な行為を容認する風潮の助長につながるものであって、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になっている。また、自動販売機による有害図書の販売は、①売手と対面しないため心理的に購入が容易であること、②昼夜を問わず購入ができること、③収納された「有害図書」が街頭にさらされているため購入意欲を刺激し易いことなどの点において、書店等における販売よりもその弊害が一段と大きい。そうすると、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性が認められる。

(3) 結論

 したがって、自動販売機による販売も規制対象に含め、「有害図書」の販売を禁止する規定は、青少年の「表現の自由」を侵害するものではない。

2 成人の「表現の自由

(1) 権利保障

 また、成人にも、閲覧の自由は保障される。

(2) 制約・

 確かに、成人は、「有害図書」を購入し、又は借りること自体は可能である。しかし、本件各規定により、成人は、年齢確認をされるようになったり、閲覧手段に規制が加えられることにより、閲読の自由を制約されているということができる。

(3) 正当化

 次に、成人の閲読の自由との関係で、本件各規定の合憲性をどのように判断すべきかが問題となる。本件各規定による成人の閲読の自由に対する制約は、青少年の保護の目的からみて必要とされる規制に伴って当然に附随的に生ずる効果である。とすれば、規制手段が、重要な目的を達成するために実質的関連性を有する必要であり、また、思想の自由市場に到達するための十分な経路が開かれていない場合には違憲である、とすべきである。

 これを本件についてみると、上記のとおり、本件各規定の目的は青少年の健全な育成にあるところ、有害図書が青少年の健全な育成に有害であることは既に社会共通の認識になっていることに盤みれば、かかる目的は重要である。また、本件各規定は、青少年の健全な育成を阻害する有害環境を浄化するための規制に伴う必要やむをえない制約であるし、成人については、これらの図書に接する機会が全く閉ざされているわけではない上、特定の態様による販売が事実上抑されるにとどまるものであるから、手段と目的との間には実質的関連性があり、かつ、成人にはなお十分な入手経路が開かれているといえる。

 したがって、本件各規定は、成人の「表現の自由」を侵害するものでもない。

(4) 結論

 よって、本件各規定は有効である。

4 本件処分について

 そして、Y1及びその代表取締役であるY2が、岐阜県内の道路沿いの喫茶店前において、Y1が同所に設置し、管理する図書自動販売機に、岐阜県知事があらかじめ指定した有害図書に該当する雑誌等を収納したことに争いはない。以上より、「犯罪の証明があつた」と認められるから、Xは有罪である。

 

百選51 わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由

1 意見の要旨

 被告人Xが、「チャタレイ夫人の恋人」を出版し、また、被告人Yがこれを翻訳することで出版を助けたことは、刑法175条わいせつ文書販売罪に該当する。このように、X、Yを同罪で起訴し、処罰したとしても、それは、憲法21条1項に反するものではない。

2 構成要件該当性(わいせつ文書該当性)

 わいせつ文書たるためには、ⅰ「羞恥心を害すること」と、ⅱ「性欲の興奮」、ⅲ「刺戟を来すこと」と、ⅳ「善良な性的道義観念に反すること」が要求される。

 そして、「著作自体が刑法一七五条の猥褻文書にあたるかどうかの判断は、当該著作についてなされる事実認定の問題でなく、法解釈の問題であ」り、「裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。」「性一般に関する社会通念」には、「変遷がある」。「しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。」

 これを踏まえ、「本件訳書を検討するに、その中の検察官が指摘する一二箇所に及ぶ性的場面の描写は、そこに春本類とちがつた芸術的特色が認められないではないが、それにしても相当大胆、微細、かつ写実的である。それは性行為の非公然性の原則に反し、家庭の団欒においてはもちろん、世間の集会などで朗読を憚る程度に羞恥感情を害するものである。またその及ぼす個人的、社会的効果としては、性的欲望を興奮刺戟せしめまた善良な性的道義観念に反する程度のものと認められる。要するに本訳書の性的場面の描写は、社会通念上認容された限界を超えているものと認められる。」

 よって、本書は、刑法175条にいうわいせつ文書に該当するというべきである。たしかに、「本書の芸術性はその全部についてばかりでなく、検察官が指摘した一二箇所に及ぶ性的描写の部分についても認め得られないではない」が、「芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない。」「芸術といえども、公衆に猥褻なものを提供する何等の特権をもつものではない」のである。

3 憲法21条1項違反の検討

(1) 権利保障

 憲法21条1項は、表現の自由を保障している。そして同条項は、当然に、出版の自由をもその内容としている。

(2) 制約

 それにもかかわらず、書籍を出版し、或いは書籍の出版を助けたことを以て、わいせつ文書販売罪の罪に問うことは、同条項により保障される出版の自由を制約するものである。

(3) 正当化

ア 形式的正当化(明確性の原則違反)

 このような、表現の自由にかかる規制や、罰則に係る規制の文言が不明確な場合は、合理的な限定解釈によって法文の不明確性が除去されない限り、そのような規制が与える萎縮効果を考慮して、法規それ自体が違憲無効となると解すべきである。そして、これは、通常の判断能力を有する一般人の理解において具体的にその規制対象を、その規定から読み取ることができるか否かにより判断される(徳島市公安条例事件)。

 「しかし本件訳書の許否についての判断の基礎は一般社会において行われている良識または社会通念として存在しているから、事前に不明白であるとはいい得ない。」

 よって、明確性の原則に反するということができず、本件のような出版の自由に対する制約は形式的に正当化される。

イ 実質的正当化

 もっとも、上記のように、出版の自由に対する制約は、必要かつ合理的なものでなければならない。

 これを本件について見るに、「性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから」、ⅰ「羞恥心を害すること」と、ⅱ「性欲の興奮」、ⅲ「刺戟を来すこと」と、ⅳ「善良な性的道義観念に反すること」といった要件を満たしたわいせつ文書を規制する必要性は認められる一方、規制された本件文書は、上記の要件を満たしたわいせつ性の高い文書、言い換えれば、反社会性の高い文書なのであるからこれを規制することは合理的であるといえる。

 よって、実質的にも本件のような出版の自由に対する制約は正当化される。

 

百選52 悪徳の栄え事件

1 意見の要旨

 被告人らが、内容の大部分を性描写が占めている小説を雑誌に掲載し、或いは、掲載させ、販売・頒布した行為は、刑法175条のわいせつ文書販売罪に該当する。

 そして、この行為を同罪で起訴・処罰することは、憲法21条に反しない。

2 わいせつ文書該当性

(1) 「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが『徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』といえるか否かを決すべきである。

(2) 「本件についてこれをみると、本件『四畳半襖の下張』は、男女の性的交渉の情景を扇情的な筆致で露骨、詳細かつ具体的に描写した部分が量的質的に文書の中枢を占めており、その構成や展開、さらには文芸的、思想的価値などを考慮に容れても、主として読者の好色的興味にうつたえるものと認められる。」

(3) よって、「以上の諸点を総合検討」すると、「本件文書が刑法一七五条にいう『わいせつの文書』にあたる」ことは明らかである。

3 憲法21条1項違反の検討

(1)  権利保障

 憲法21条1項は、表現の自由を保障している。そして同条項は、当然に、出版の自由をもその内容としている。

(2) 制約

 それにもかかわらず、書籍を出版したことを以て、或いは小説を執筆し出版をさせたことを以て、わいせつ文書販売罪の罪に問うことは、同条項により保障される出版の自由を制約するものである。

(3) 正当化

ア 形式的正当化(明確性の原則違反)

 このような、表現の自由にかかる規制や、罰則に係る規制の文言が不明確な場合は、合理的な限定解釈によって法文の不明確性が除去されない限り、そのような規制が与える萎縮効果を考慮して、法規それ自体が違憲無効となると解すべきである。そして、これは、通常の判断能力を有する一般人の理解において具体的にその規制対象を、その規定から読み取ることができるか否かにより判断される(徳島市公安条例事件)。

 「しかし本件」書籍「の許否についての判断の基礎は一般社会において行われている良識または社会通念として存在しているから、事前に不明白であるとはいい得ない。」

 よって、明確性の原則に反するということができず、本件のような出版の自由に対する制約は形式的に正当化される。

イ 実質的正当化

 もっとも、上記のように、出版の自由に対する制約は、必要かつ合理的なものでなければならない。

 これを本件について見るに、「性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから」、「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」わいせつ文書を規制する必要性は認められる一方、規制された本件文書は、上記の要件を満たしたわいせつ性の高い文書、言い換えれば、反社会性の高い文書なのであるからこれを規制することは合理的であるといえる。

 よって、実質的にも本件のような出版の自由に対する制約は正当化される。